英語を始める前に
近年、語学(基本的に英語)に対する関心が非常に高まっています。メディアではグローバリゼーションというカタカナが飛び交い、企業ではTOEICで一定のスコアを取得しないと昇進させない、といった一種いやがらせのような規定が採用されはじめています。
「これからは英語ができてあたりまえ、できない奴は時代に取り残される」
といった雰囲気が社会に立ち込め、それに応えるかのように、本屋には多種多様な語学学習書が所狭しと山積みにされています。 こうした日本社会の「エイゴ」大合唱の中、多くの人が自主的・あるいは強制的に英語の勉強を始めています。
英語を始める人の動機はさまざまです。仕事で必要な人、旅行好きな人、就職・転職のため、趣味のため、あるいはファッション感覚で、英語ができればカッコいいから………。
このサイトを訪問される方は英語を始めようとしているか、もしくはすでにされている方だと思いますが、今一度「何のために」勉強するのか考え直してみてください。
そして、今になって上記の問題をあらためて考えてみると、疑問が面白いように氷解していきました。どうして日本人はいつまでたっても英語ができないのか。なぜ英語学習法がこれほどまでに、矛盾が発生するほどバラバラなのか。これには全て原因があります。
あなたにとって「英語」は本当に必要ですか?
社会には集団心理というものがあります。社会を覆う「エイゴ・エイゴ」の荒波の中で、客観的な心理を維持するのはなかなか難しいものです。
実際のところ、本当に英語を必要とする人はごくわずかなのに、こういった社会の風潮の中で、本来英語など勉強する必要のない人たちまで英語の勉強をしています。これは、はっきり言ってしまえば、金と時間と労力の無駄です。
なぜ勉強をしている、あるいはしようとしている方に対してこのようなことを言うのかというと、英語にせよ、他の外国語にせよ、日本人が外国の言語を習得するには相当の努力が必要になるからです。
一説に、日本人が英語を習得するのに要する時間は約5000時間と言われています。これは難関といわれる国家試験に合格するのに必要な勉強時間に匹敵します。中学・高校での英語の授業の合計時間は800時間強しかありませんので、あと4000時間捻出するには、1日1時間で計算すると、正月も休日もなしで約11年必要になります。
そんな時間を、本来必要でもないものを身につけるのに使うのは無駄以外の何物でもありませんし、そもそも継続することすら困難です。
現に英語を勉強する人の大半が途中で挫折しています。必要もなく、どうせ身につかない語学をやっている時間と金があるのなら、それらを別のことにつぎ込んだほうがマシです。いっそ海外旅行等でパッと贅沢をした方が、いい思い出が残ります。
英語だけがすべてではない
最近のメディアは、社会で成功するためには英語が不可欠だ、といったメッセージをしきりに流していますが、私はそうは思いません。 どんな職業にせよ、その道の一流になればいいのです。 そうすれば英語を話す必要はなくなります。通訳をつけてもらえますから。(※補足)
自分でも、2つの言語を習得するだけの気力と時間を別のことに割いていたら他に何ができていただろうか、と、ふと思うこともあります。
だからこそ、あえて言わせていただきます。どんな効率的な方法で勉強しても、一つの言語を身につけるには相当の努力が必要になります。それが自分の人生にとって本当に必要なんだ、と言い切れる人だけ読み進めていってください。
※補足: メールマガジンでこのように書いたのですが、それに対して、
「通訳を置けるほど余裕があるのは、トヨタやソニーの会長くらいなのでは?」
というメールをいただきました。この方はビジネスマンの方なのですが、確かにビジネスマン(海外担当)の場合、ある程度自分で英語ができて当たり前だと思います。ご自身がビジネスマンなので、このような考えに行き着くのも無理はありません。
ここで私が言いたかったことは、必ずしも全ての人が海外担当のビジネスマンになるわけではない、ということです。世の中には職人さんもいます。芸術家もいます。その他にも英語と直接接する機会のないさまざまな職業があります。
このような方々は日常の業務の中で英語を使用することはあまりありません。はじめから必要ないのです。そして、その道で超一流となり、外国人相手の講演要請を受けるような場合は、普通先方が通訳を用意します。私の伝えたかった意味はこのようなものです。
逆に言えば、海外取引を担当するビジネスマンは英語が必要になります。これは、既に英語が国際商用語としての地位を築いているためです。このような場合、英語ができることが一流の条件の一つになります。
また、同じ方から、
「やっぱ本人がその国の言語で語ったほうが、聞いている方は迫力を感じます。」
という意見をいただきましたが、これは日本人的な発想です。日本語は日本人しか使いませんので、外国人、特に一目見て日本人ではないと見分けの付く人種の外国人が、流暢な日本語を使うのを聞くと感銘を受けます。
一方英語の場合、アジア系のアメリカ人なども大勢いるので、日本人が流暢な英語を使用しても、日系アメリカ人などと勘違いされるのが関の山で、彼らが流暢な東アジア人の英語を聞く際に受ける迫力、感銘などは日本人のそれと比べて微々たるものです。
おまけに現在は歴史的、経済的な背景から、英語が世界の言語の中で優勢な地位を占めるようになっているので、英米人の中には、人は英語ができて当たり前だ、という発想の人が増えてきています。
こんな中で、流暢な英語で英語ネイティブスピーカーに迫力を与えようとしても、徒労に終わるでしょう。相手にインパクトを与えたいのなら、英語の場合は会話内容を充実させるのが一番です。このあたりは追ってお話します。 もどる