発音か内容か
先にも述べましたが、私は「この両者のどちらも正しいといえば正しいし、正しくないといえば正しくない」、と考えています。
発音の勉強は絶対に必要
日本語の発音構造は他の主要言語と相当異なるので、幼児期を過ぎてから語学を身につける場合、聞いているだけでは決して身につかないからです。そのため、英語にせよ、他の言語にせよ、発音の勉強は一番初めに徹底的にしておく必要があります。外国語の発音構造を頭で理解しなければ身につかないからです。
また、「通じればいいではないか」派が言うようにカタカナ発音でも十分通じることもありますが、それは文脈やその会話がなされている状況からの推測であることがよくあります。中には、以前日本人と交流があり日本人の発音パターンに慣れているといった場合もあります。
これらはいずれも会話の状況や聞き手側の経験や感性に依存するもので、当たりはずれが出てきます。
旅行ぐらいならこれでもいいのですが、仕事など責任を伴う場面では危険すぎます。会社に巨額の損失を与えてからでは遅いのです。
発音より内容
このように考えてくると、私は「正確でなければならない」派であるかのように思われるかもしれませんが、ここから少しだけ異なる意見を持っています。それは、結局のところは、私も「通じればいいではないか」と考えているからです。
外国人は日本人に対して、外国語をネイティブスピーカーのように話すことを要求していません。私たちも外国人と日本語で会話をするとき、外国人に対して日本人のように日本語を発音することを要求しないのと同様です。
発音については相手が聞き取れる範囲内まで身につければ実質的には十分です。それさえ達成されれば、より重要なのは話の内容になります。ネイティブの立場からしてみれば、十分聞き取ることができる発音をしているのに、発音を気にしながら会話され、結果的に会話がぎこちなくなる方が余計にストレスがかかります。
多少発音に問題があっても、話し続けていると慣れてくるものです。挨拶だけなら一言二言で終わりますが、交流する場合はまとまった時間会話するので、 発音によほどの問題がない限り、会話に支障をきたすことはありません。
確かに、外国人なのに発音が上手だとネイティブスピーカーは感銘を受け、第一印象は非常に良くなります。しかし、会話を続けていくと、だんだん発音のことなどどうでも良くなり、会話の内容が重要になってきます。いかに発音が上手でも、発言内容に意味がなければ、この程度の人間なんだ、と思われてしまいます。
勉強するときは徹底して、話すときは大胆に
結局のところ、言葉は道具です。言葉は意思疎通のためにあるのですから、肝心なのは伝える内容になります。しかしながら、注意しなければいけないのは、日本語と英語の発音構造は全く異なるものなので、発音についてしっかり勉強しないと、使い物にならない道具にしかならないということです。
日本人が「通じればいいではないか」という考えで英語を勉強した場合、その人の英語は通じないものになる可能性が高くなります。「ネイティブのように発音できるようになってやる」という気持ちで勉強してはじめて「通じているから大丈夫だよ」と言われるぐらいのレベルになるのが現実です。
私の結論は、「勉強する時は徹底して発音を練習するべき、話すときは細かいことに気をつかわないで、大胆に話すべき」ということです。