ネイティブスピーカーが文法を必要としない理由
文法の役割を身近なものにたとえて言うなら、設計図であり、解説書であり、また使用説明書であるとでも言えるでしょうか。
これらは簡単なものを作ったり、あるいは使ったりするような場合は必要ありませんが、複雑なものを扱う場合は必須です。
言うまでもありませんが、言語は非常に複雑なものなので、設計図であり、解説書であり、使用説明書である文法は言語を理解する上でも、言語を使用する上でも欠かせない存在です。
反論
このような主張には異論があるかもしれません。
「文法などいらない」派の主張の根拠は、「ネイティブスピーカーは文法など意識していない。文法を学んでいない就学前の子供でも会話ができるではないか」というところにあるのですから。
確かに、私たち日本人も日本語を使用する際いちいち文法の存在を意識していません。
また、幼稚園児でもコミュニケーションを取ることができるだけの会話力を身につけています。
しかし、これにははっきりとした理由があります。
それは、幼いころから言語に触れ、大量に使用している間に「使用説明書」である文法なしでも使いこなせるほど言語に精通したのです。
35000時間
少し考えればすぐにわかることですが、母語を使用する時間というのはすさまじいものがあります。
基本的には活動している時間すべてが母語に接している時間です。人は母語でコミュニケーションを取り、情報を集め、そして考えます。
この日常何気ない活動の中で、「聞く、話す、読む、書く」という行為を繰り返し行っているのです。
単純計算をしても、言語を1日16時間何らかの形で使用しているとすると、小学校に入学するまでに約35000時間言語を使用していることになります。
35000時間とは1日3時間で32年かかる時間です。しかも、ネイティブスピーカーの場合は6歳までという脳が最も柔軟な期間でのことなので、同じ効果を成人に期待するとすればとても35000時間では足りないでしょう。
この理由一点だけを挙げても、「ネイティブスピーカーは文法など意識していない。文法を学んでいない就学前の子供でも会話ができるではないか」、という主張が如何に根拠の薄いものなのかよくわかります。
ちなみに何年も勉強しているのに、ネイティブスピーカーの子供に及ばないことを嘆いている学習者がいますが、これは当たり前のことで、何も嘆く必要はありません。
外国語なのですから、流暢さでネイティブスピーカーに及ばないのは当然のことです。
別のところで勝負をすればいいのに、明らかに不利な「流暢さ」の部分にとらわれて、肝心の部分を軽視してしまう学習者が本当にたくさんいます。流暢さは目立つ部分なので無理もないのかもしれませんが。
英語を「理解」する
文法とは、言語の中に存在している既知の法則をまとめたものです。
文法なしの場合は試行錯誤の中で英語を身につけていくことになりますが、文法を学ぶことで、効率よく英語の法則を知ることができます。
文法のおかげで本来なら大量の時間を費やして悟る言語の法則を、一読するだけで理解することができるのです。
この、英語を「理解」する、というところに、文法学習の強みがあります。「理解」する能力こそ、歳を重ねるにしたがって強化される能力であるからです。
成人の論理的に理解する能力は、子供のそれとは比べ物にならないほど高いものがあります。
文法を利用した学習こそ、外国語として英語を学ぶ者の最強の学習法なのです。
文法に対する認識
ではなぜ中高であれだけ文法を学んでも使えるようにならないのかというと、学校英語は文法知識を詰め込むのに忙しいあまり、「文法にも種類がある」で解説した「学問的文法」の段階で止まってしまっているからです。
学問的文法の段階から受動的文法、そして能動的文法へ、また、意識的レベルから無意識的レベルまで能力を高めていくことで、はじめて英語を使いこなすことができるようになります。
文法はそれ自体が目的なのではなく、あくまでも英語を効率よく理解するためのツールに過ぎません。
理解したものを繰り返し使用し、訓練していくことで、はじめて文法を学習した意味が出てくるのです。
訓練を怠った状態で文法を責めるのは筋違いというものです。文法に対する正しい認識こそ、英語習得の第一歩と言えるのではないでしょうか。
文法無視系教材の正体
先に「英語の習得には文法が不可欠である」と述べましたが、これに対して、現実には「文法などいらない」系の方法で使えるようになっている人がたくさんいるではないか、と思われるかもしれません。
確かに文法無視系の教材を使用して英語が話せるようになることもあります。ではやはり文法は必要ないのかというと、必ずしもそういうわけではないのです。
既存の文法力
学校英語教育では文法を重視していること、そしてその文法は「学問的文法」に分類されるものであることには既に触れました。
ということは、高校を卒業した段階で文法的知識はかなりのものがあることを意味します。特に、大学受験に参加した人は相当程度の文法知識があります。
このような人が「文法などいらない」系の教材を使用すると、いままで「学問的文法知識」レベルで止まっていた文法能力の一部が刺激され、「受動的文法」レベルや「能動的文法」レベルへ移行していきます。
そうすると英語が聞き取れるようになったり話せるようになったりするので、あたかも文法の勉強などしなくても英語を習得できるような錯覚に陥ります。
ここから、これら「文法などいらない」系の教材は、文法を否定しながら、その実は学習者が既に持っている文法力に依存している勉強法である、と考えられます。
ということは、学習者が事前に持っている文法力によって、効果に大きな違いが出てきます。
文法無視系教材との相性
このため、私はこれら「文法などいらない」系の教材を100%否定してはおりません。人によってはかなり効果が出ることもあります。
しかしながら、これらの勉強法では英語力上昇の上限にはおのずと限界があります。
また、英語が苦手だった「やりなおし組」の場合、このような教材の効果はあまり期待できないと思われます。
本物の英語力を習得したいのなら、まずは文法を徹底的に勉強してください。「学問的文法」は文法を理解すればいいだけなので、短期集中型の学習も可能です。
その後の学習で「学問的文法」力を「受動的文法」「能動的文法」へ、また「意識的」から「無意識的」レベルへと上昇させていってください。